物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

一個一個やりきることは大事であり難しい

 これは自分の特性なのかもしれないが、用事や仕事をなにかと残してしまう癖がある。内容はコートをクリーニングに出すとか、店を予約するとか、レポートを作るとか、大したことないものも多い。中には「抄読会の準備」など、めんどくさいからこそ放置してしまうものもあるが、基本的にそれらをやり切らずに少しだけ手を付けて放置してしまうことがよくある。

 これは脳科学的にもあまりよくない。というのは、ずっと「片付いていないタスク」として、意識的にか無意識的にかは別にして、頭の用量をずっと占有されてしまうからだ。「終わった!」と思ってないままずっと残しておくのは、目の前の物事に対する集中力を失うという意味で非常によろしくない。

 さらにやっていて思うのが、最初に目算で「どのくらいの時間がかかるか」を一応設定するが、往々にしていそれより時間がかかっていることが多い。

 昔ワークスアプリケーションでインターンをしていたころ、「目の前に対するタスクがどれくらいかかるか、という目算は、最初はわからないことが多い。それでも目算を立てて、徐々に自分がどれくらいあれば終わるかわかるようになれ」と言われたことがある。もちろん仕事の速度を上げることを大事なのだが、目算の精度もあげていくというのは、社会人として仕事をしっかりこなしていくのにとても重要なことと感じた。

 

 で、まあ私はその目算が非常にへたくそなのだが、それはひとえにこの「やり切らない癖」が大いに影響しているように思う。大体いつも少しだけ、とか半分だけ、とかしてしまうので、タスクの所要時間の目算を立てる力が育ってないのだ。

 というわけで、まずは一個一個、めんどくさからずに意識しながら、やり切ることを続けていこうと思う。

 ADHD傾向のある人はこういう人が多いそうだ。ちなみに私の幼児期を振り返ると、今ならADHDと診断されてもおかしくなかったような挙動をしていたらしい(実際はADHDでなくても最近はかなり多くの人がそう診断されている印象は受ける)。親が気にしなかったのと、まっすぐ育てられたため、こうして何時間も集中したり医師になったりということができるようになっているが。