物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

リハビリを兼ねて徒然なるままに

 記事を書くのはだいぶ久しぶりになる。

 しばらく書いていないと、書くのがだんだん億劫になってくる。やはり毎日継続させる習慣という力はとても偉大なものであると実感する。

 ここ最近実家に帰省し、色々な人に会うなどし、自分のこれからの進路をじっくり考えていた。

 いつも危機感として抱えているのが、「人間が選んだ道を後悔しないように正解と思いたがる」というところだ。

 これは諸刃の剣である。というのも、基本的に後悔しないということはとてもいいことで、後顧の憂いなく前に進むことができる。

 しかし、挑戦しなかった道を選んだ時に、「いいんだ、この安定の道で。だって今不幸じゃない」と思ってしまう危険性、つまり、できるだけ安全な、安全な道を選んでしまう危険性をはらんでいる様に感じるからだ。

 事実私は、初期研修医を2年間やることすら悩んでおり、大学を卒業したらさっさと起業しようか、などと考えていた。でもさすがに医療のことが分かった気にはならなくて、せめて二年間、ないしは三年間はやろうと決めた。

 そうして今、私は迷っている。さらに専門医まで取るべきなのではないか、そういったたぐいのことだ。事実周りの先生にはそう勧められる。そりゃそうだろう。そうやって成功してきた人たちなのだから。

 私は初期研修医2年をやっていることについて、後悔はない。と感じている。しかしこれは本当に後悔がない選択だったのか?とよく思う。なんとなく張り合いがなかったり、やりたいことではなかったり、引っかかるところがたくさんあるのに、でもそんなに悪くないからと、「後悔はない、これで正解だった」と思い込もうとしているのではないかと。

 なのにさらに、ここから医者の道を突き進もうとしている。これは完全に、逃げの一手のように思い、しかしそれを大学時代の友人たちに会うまですっかり忘れていた。

 

 大学時代の友達の、しかも仲の深いやつらの言葉は、良くも悪くも重い。

 そいつらには、「お前は病院を飛び出すべきだ」「閉じこもってていいタイプの人間じゃない」という。

 また、友人たちも様々な挑戦を始めていた。転職したやつ、起業したやつ、結婚したやつ。ポジティブな面だけでなく、心を病んで休職したり、家庭の事情で休まざるを得なくなったやつもいた。

 挑戦しているやつらをずっと、ずっと横目に見てきて、ずっと歯がゆい思いをしてきたのに、また俺は閉じこもろうとしているのか。健やかに生きられていることにかまけて、また怠惰に無駄な時間を過ごそうとしているのか。

 

 やはりこうではいけないように思った。結局何も見えてないのだが、それでも飛び出してみようと思った。

 いったん医者を辞め、描きたい絵の描き方を探しに行く。感動の極みを、エクスタシーをこの世にたくさん創り出すのに、自らがヒーローになるために、何ができるか。どうやってやるか。それを探しに行く。

 幸いにもお医者さんは、食い扶持はどうにか稼げる職業だ。明日のことはどうにかなるだろう。

 それよりも、20代の時間を、「仕組みのせい、仕事のせい、誰かのせい」にしてだらだらと過ごすことが一番耐えられない。自ら選ぶならまだしも。

 だから、一旦飛び出そうと思う。色々と期待をかけてくれたり、声をかけてくださっている先生方には大変申し訳なく思うが、いたしかたあるまい。私はこういった人間なのだ。もう、不安定な世界に飛び出してみたいのだ。