物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

憂鬱こそ我が友

 人間、毎日悩みがなく生きていけることなんてないだろう。

朝起きるとなにかしら、あああの人と顔合わせたくない、この仕事したくない、宿題やってない、進級あぶないとかいろいろと憂鬱なことがあるものだ。

 悩みがない状態はとても楽で、いつもそうでありたいと願うが、残念ながら生きていく中でそううまくはいかない。

 私自身、こういった悩み事があると、とたんに色々なものが楽しめなくなったりする。その悩みがずっと頭の中に引っかかって、心から目の前のことに打ち込んだり、楽しんだりできなくなるのだ。

 ここをうまく分離できる人は実は多いということに気づいたのは最近だ。みんな、なにかしら心の中に何か抱えていても、きちんと目の前の仕事に打ち込んだり、純粋に楽しんだりできているらしい。私はそういう分離が苦手だったのでそれが羨ましかった。

 最近それが分離できるようになってきたのは、タイトルのような考え方が生まれたからだ。

 「憂鬱こそ我が友」

 この言葉は、株式会社幻冬舎社長の見城徹さんのものである。

 見城さんは、むしろ毎日憂鬱なことがないと不安になるそうだ。それくらい、毎日憂鬱なことに追われている。しかし、その憂鬱こそ生きている証、生きている実感がわくものとして、むしろじっくり血生臭く付き合っているのだ。

 これはとてもいい、むしろ憂鬱は生きている実感、我が友として迎え入れればいいのか。そう考えるようになってからは、悩みがあることがあまり苦しくなくなった。いや、まあもちろん無いにこしたことはないのだが、あるにしても、こいつとうまく付き合ってやろう、こいつは俺の友達だ、と思うとかなり気持ちの持ちようが変わってくる。今まで見たいに、敬遠して、遠ざけて、できるだけ考えたくない、ということよりずっといい。

 憂鬱なことがあっても、そいつと仲良くする。生きていくうえで悩みは尽きないが、そうやって憂鬱なことと付き合っていこうと思う。