物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

自分の軸を持てとか言うけれど。

【自分の軸って何??】

 最近は、社会の相対的な評価じゃなくて、自分の軸を見つけろと言われる。自分の幸せは自分にしかわからないのだから、自分がどうしたいのか考えろという。

 いい高校、いい大学、一流企業に就職することが必ずしも正解ではない現代(むしろミスすることも多い)で、立派な学歴や優秀な企業の人間、という肩書を自らの幸せの根拠とするには確かに非常に危険な行為だ。

 だがしかし、それ以外になにを目印にすればいいのだろうか?

 今までいい大学に入って立派な企業に就職し、バリバリ仕事してたくさん稼ぎ、昇進して偉くなる。プライベートでは、まともな奥さん/旦那さんと結婚して子供をもうけて家族で暮らす(女の人なら、さらに家に入ることが幸せだと教えられてきた時代もある)。これがベースで、

 これが幸せだと教えられて来た私たちに対し、突然大人たちが「幸せはみんな同じじゃなくて、決まってるものではない。自分で自分の幸せな生き方を探さないといけない」と言い始めた。

 私たちは、自分の幸せの形の正解はこれだ、と特定のものを教えられてきた。自分で考えろ、とは言われたことはない。今までそうやって教育しておいて、突然そんなことを言われても困ってしまう。

 

 私はキャリアアドバイザーとして大学生たちと接する中で、「社会的に偉いとかお金稼げるとかじゃなくて、自分が結局何を幸せに感じるんだい?」と聞いたとき、困惑した顔で首をかしげてしまう大学生にたくさん会ってきた。彼らはそれを考えたことがないのだ。幸せとは、たくさん稼ぐことであり、偉くなることであり、みんなにすごいといわれることであり、美人の奥さん/イケメンの旦那を持つことであり、温かい家庭を築くことなのだ。心の中では違うと思っていても、そう教育されてきたから、自分が幸せに感じることについて、考えることができなかったのだ。

 そもそもそういうことを思いつきもしていない、という事実に私は当時驚愕したのを覚えている。よく就活で自己理解とか自己分析とか言うが、自らの幸せとはなにか、について考えるのはその最たるものだ。しかし、多くの大学生が、それをわからないどころか、そもそも教えられた幸せの形について疑ったことがなかったのだ。

 もちろん、今まで教えられてきた幸せは、確かに幸せの一つの形だとは思う。いい会社に就職して、たくさん稼いで偉くなるのはとてもいいことだと思う。

 しかし、本当はそういうことを幸せと思っていないのに、それが正解と教えられてきたから、そこから抜け出せない人がとても多いように感じた。

 

じゃあどうすればいいのだろうか?

 

実際問題、この思考の枠を外すことはとても難しいように思う。でも一つ外し方があるとすれば、それはいったん、すべての肩書を外してみることかなと思う。

一流大学出身、一流企業の身分、立派な経歴、プラスのことだけでなく、中卒、非正規雇用、逮捕歴、そういったマイナスのものも全部含めて、いったん自分についてる表札をすべて外してみるのだ。

 多分考えにくいと思うが、それを外した時、人はその人の名前がついただけのただの人になる。そういった状態で、自分の幸せを考えてみるといい。 

 多分なにか肩書や環境に付随した幸せが最初に思いつくと思うが、そういったものはいったん忘れる。そのうえで、結局何をしているときが幸せなのか、と考える。

 多くは趣味とかにその片鱗が出たりするが、そういったことからちょっとずつ深めていくのがいいと思う。それが一つ、自分の軸の探し方というものになるのではないかと思う。