物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

絶対的な味方がいることの重要性

 多くの家庭の養育不全、発達障害、虐待の事例を見てきた。家庭環境に恵まれなかった多くの子ども、その子供たちが大きくなって親になって繰り返される養育不全の連鎖、これらを見てきて思ったことがある。それは絶対的な味方がいることが極めて重要であるということだ。絶対的な味方がいることが、結局はその子の、その人の人生の精神的安定感を爆上げし、強く、優しい人間へと促す。

 

 絶対的な味方というのはどういうことだろう?いろんな定義があるが、今回はこのように定義してみたい。

 「見返りを求められず、どんな自分でも愛してくれる存在」

 

  まず見返りを求められない、というのは実は結構大きなポイントであったりする。

 例えばの話だが、よく若く、しかし情緒不安定な女の子が、ろくでもない男につかまって都合のいい女になる、という光景が見られる。これらの男は、ある種恋愛的なポーズをとりながら、基本的にはその若い女の体目当てに彼女らに近づく。都合よく性欲やその他もろもろの欲求を満たしてくれる手頃の存在を欲しているからだ。

 女の子の側もこれをわかっていながら、しかしそれらの男が与える安心感、肯定感、自分を認めてくれる感が欲しくて、なんとなくずるずると離れられなくなったりする。

 残念ながら、こういった男が与える安心感、肯定感、認めてくれる感は、女の子側がその体や愛情を提供しなくなった時点で崩壊する。つまるところ、何かの行動の結果与えられている承認や愛情は、その行動をとらなくなった時点でなくなってしまう。

 それがあったうえで、どんな自分でも愛してくれる存在、というのは極めて重要な点だ。自分という存在がいろいろ変化していくうえで、その変化を好ましく受け入れてもらえるかどうかは、成長をするうえで非常に重要なポイントになる。

 もし「おとなしい子」が好き、ということになってしまえば、例えばその子がもっと積極的になりたい、と思ったとしても、その自分を受け入れてもらえるかどうかの点で自信が持てなくなり、結果的に変化に対してためらいが生まれてしまう。

 さきほどの見返りを求めない、という点にも通じるのだが、何かの行動の結果愛されている、ということになると、その子から見れば「私に価値があるんじゃなくて、私の行動に価値があるのね」という解釈になる。こうなると、真の意味で絶対的な味方ではなりえなくなるのだ。

 

 どんな自分でも愛してくれる存在がいることで、自分そのものに価値があると信じることができ、また自分の成長・変化に対しても前向きに取り組むことができる。

 現在母親・父親がこれを担えない家族が多い中、社会としてこのような存在を用意していくことが求められている。