物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

発達障害が増えている??

 以前教育委員会に参加している児童精神科の先生と話をする機会があったのだが、その時に「最近発達障害といわれる子が増えている」と言われた。

 個人的な印象としては、昔に比べてネットとかで情報が氾濫しており、親が過度に不安になり、「そうではありませんよ」と言われても納得がいかず、どうにか診断をもらおうとしているケースがたくさんあるような印象(医者側も絶対にそうではない、とは言い切れないことが多いので、まあ自閉症スペクトラムかな、ADHD傾向かな、とは診断することがある)であったが、その先生としては「核家族化が進行した結果、社会性を育てる場所がなくなった」ことが原因ではないかとのことであった。なるほど。

 

(参考値)発達障害(LD・ADHD高機能自閉症等)の可能性のある児童生徒:6.5%程度の在籍率

※この数値は、平成24年に文部科学省が行った調査において、学級担任を含む複数の教員により判断された回答に基づくものであり、医師の診断によるものでない。

(出典)今後の放課後等の教育支援の在り方に関するワーキンググループ;資料より

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/03/16/1355830_1.pdf

 

 昔は多少落ち着きがなく、多動傾向、集中力の欠如傾向、対人コミュニケーション能力の欠如などがあったとしても、近所のおばちゃんや近隣家族、多くの大人を含んだ複数のコミュニティに囲まれて育っていたため、そういった大人に注意されたり話しかけられたり、ダメなことは怒られたりときちんと社会性を育てられていたために、今ではADHDと診断されているような子たちでも普通に育っていた。最近はそういった社会性を育む場所がそれこそスポーツクラブなどに所属するくらいしかなく、それにしたってスポーツをするだけ。あとは関わってくれるのは親か学校の先生だけという環境の中で、なかなか社会性が育たず、小学生・中学生になって改めてADHDといわれるようになっているのではないかとのことであった。

 また、実際にそういった発達障害があると認知され、そういった子どもたちに対する特別な支援を行うようにする法律が作られ、学校が少しでも怪しいと考えられる子たちを積極的に医療機関につなげているというのも背景にあると考えられる。

 

 社会性を育む場所が少なくなった、というのは一理ある。私は「しつけ」という言葉は嫌いだが、ダメなことはダメ、いいことはいいとちゃんと言ってくれる、親ではない斜めの関係の大人が近くにいなくなった、というのは、対人コミュニケーション能力の成長にマイナスの影響を及ぼしていることは十分に理解できる。

 また、学校の方針も、法律がある以上多少仕方ないこととは思う。実際に支援が必要な子はいるし、そういった子に対し適切に早く支援をしていくことはとても重要なことだ。明らかに多動な子、自閉の子については、確かに訓練が必要であろう。

 

 私が今まで見てきた印象では、明らかに普通そうな子が結構ADHD自閉症(ASD)と診断されていたりして、かなり診断が過剰な印象を受けていたが、実際に増えてはいるのだろう。それはより多く現場を見ている先生たちのほうが正確な判断をしているのではないかと思う。