物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

依存からの脱却について

 最近、依存というものについて考えることが多い。人はなにかしらの依存を抱えていると昔聞いたことがあるが、確かにそうかもしれない。私自身、酒やたばこなどわかりやすいものではないものの、多分診断基準としてはネット依存みたくなっている気はする。

 この依存というもののやっかいなところは、例えそれにより自分の生活が脅かされようとも、一人でそこから脱出するのが難しいところにある。

 精神科医&漫画家として有名なゆうきゆう先生の漫画にも依存のテーマはよく取り上げられているが、それだけ関心のある&治すのが難しい問題なのだろう。

 精神論では多くの場合どうにもならなく、しかも本人が依存であることを認めたくないケースが多いので、結果としてなかなか治らない。また依存の対象ごとに固有の問題もあり、例えばアルコールなら身体的依存、ギャンブルなら莫大な借金といった、実際に薬物投与による治療が必要なものから、社会的に大きな問題を引き起こすものまでさまざまな問題が絡んでくる。

 

 これら依存の問題に対してはもちろん医療的な専門の先生方がおり、日夜診療に忙しくされている。大変にありがたいことである。

 しかし一方で、もう少しライトな段階で依存症を見つけたり、医療の力を借りずともできることがあるのではないか、という気もする。いきなり医療の現場に行って、さあ依存症の治療をしましょう、というのは、多くの人にとってかなりハードルが高い気もするし、そもそも自分が薄々依存症であるかも、とは思っても、それを認めたくない人が多いのだから、結局ハードルの高さから治療につながらない印象はある。

(もちろん依存症の治療の第一歩はまず自分が依存症であることを自覚することなので、自覚しない以上はそもそも始まらないというのはあるが…)

 

 よく日常の医療の現場にいても、明らかにアル中の人や、ゲーム・スマホ依存症の若者だなあと思う人を見る。別段本人がそれに問題を感じていないなら(周囲の人の迷惑や社会的な問題は別として)まあ構わないのだが、本人がどうにかしたいと思っているならどうにかしてあげたい気もする。医療の現場にいるとどうしても待つだけになるが、アウトリーチはできないだろうか。要検討課題である。