物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

渦中にいるとわからなくなる不思議

【客観的に自分を見る自分は意外と迷子になりがち】

 色々な方のキャリア相談や子育ての相談を聞いていて、最近気づいたことがある。

 人は物事を遂行中は周りが見えないことが多く、外から言われて初めて気づくことも多々ある。なので、自分のメンターと言われるような人を作ること、そして可能なら、自分の中に、常に自分を一歩引いた眼で見るもうひとりの自分の視点を持つことが理想的であるとされる。

 この「常に自分を一歩引いた眼で見るもうひとりの自分」という視点を持つことが実は非常に難しい。いつもは自分を客観的に見ることに絶対の自信を持っていたとしても、いざ渦中に入ると途端に冷静な自分を見失う。

 子育ての相談で母親の皆様が直面している困難、家庭の事情、近所付き合いの話などを最近は聞く機会が多いのだが、話を聞いているこちらの身からすると、

 「どうしてこういう考えになるんだろうか…?」

 というようなことが散見される。客観的な解釈と、中から見てる人の解釈が大きくずれることが多々ある。正直なぜそういう風に考えるようになったかよくわからない時もある。

 しかし、いざ自分ごととなると、急に客観的に見れなくなる。

 例えば自分の組織の中で、先輩と確執があり、いつもつっけんどんに当たってしまう時、もっと自分の気持ちをちゃんと伝えて、相手を動かそうとしない、など基本的なことは頭の中にあるつもりでも、実践できないことが多い。

 「いやでもあいつが聞くとは思えない」

 「どう考えても俺が譲歩するのは意味がわからない」

 など、自分が客観視する側の時は突っ込まれまくっていたセリフを今度は自分がめちゃくちゃ言っていることに気づく。

 そうかこれが渦中にいるとわからなくなるということか、と理解しても、それでも自分が普段客観視している側で言っているときのようにできないのだから、何もわからない状態で物事に取り組んでいる人にとっては本当に五里霧中であろう。

【やはり外部メンターは有効】

 これだけ頭の中で反芻していても難しいのだから、普段は自分自身の客観視に自信を持っていたとしても、やはりメンターと言われるような人を探すことを強くお勧めしたい。そして、そういう人たちの意見を照らし合わせながら、常に客観視している自分の眼が曇っていないかを確認するのだ。

 そうして客観視する自分の質を上げていけば、いざメンターがいなくなってしまっても、ある程度信頼度の高い客観的な自分が育っているはずだ。