物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

やりたい≠楽しいこと、苦しい≠やりたくないこと

 つい最近までわからなかったのだが、たぶん一部の人を除いた多くの人にとって、やりたいことでもきっとつらい時はあるのだろうな、と思った。

 最近までは、それこそアスリートのように、将棋の棋士のように、好きなものにはがむしゃらで、永遠と夢中にやっていられるものだと思っていた。だから逆に、やっていてつらくなったり、つまらなくなったり、苦しくなったりしたとき、「ああこれ本当はやりたいことじゃなかったんだ」って思ってしまっていた。だから、途中で辞めて、「あれは俺はやりたいことではなかった」と若干後ろめたい気持ちを抱えながら、諦めてきた。

 実際にやり切った経験を何度か積んでくると、どうやらそれは間違いだったことに気づく。例えば私は教育に携わるのが好きだが、数か月分の高校生の授業を作成するのは正直かなりつらかった(昔NPOでそういうことをしていたのだ)。ほかにも、小説を書いたり物語を創るのが好きだが、いざ物語を書き始めるとつらくて何度もくじけそうになった。辞めたい…でもここで辞めたら俺はしょうもないやつだ…なんて思いながらどうにかこうにか完成させると、乗り越えた先に自分が見たかった景色、なりたかった自分、創りたかったものがようやく現れるのだ。

 本当は、自分のやりたかったこと、なりたかっもの、実現したかったことは、そのつらいことの先にあった。私はやりたいこととは、ずっとわくわくして、楽しくやれるもんだと思っていたが、そんなことはない。結構どころかかなり苦しい。仕事は義務感があるからやれるが、それが自分が勝手にやっていることだと、なおさら苦しい。別に義務でもなんでもないから、やめてしまってもだれも責めないから。

 

 もし、まだ何かを成し遂げたことがないのなら、この壁を打ち抜くことはとても難しい。その先にある達成感、その先にあるであろうまだ見たことない自分、見たことない景色を、イメージできないから。

 だから、逆に、最初の一回は大変だけど、どんな力を使ってでもやり遂げてほしい。今まで自分が諦めてきた、そしてこれからも諦めてしまうであろういろんな自分自身の強さや魅力に気づかないまま終わってしまう、それはとても悲しいから。一回でもその達成感を味わえば、また次に、目の前の自分の好きなことがつらくなって嫌いになりそうになっても、なんとかその山を越えて、まだ見えていない景色を身にいく元気が盛られるから。

 

 やりたいことは、決して楽しいだけじゃない。逆に、苦しいことはやりたくないことではない。やりたいな、楽しいな、と感じたら、どうか目の前の壁の高さにくじけず、立ち向かっていってほしい。