物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

自分の肩書の外し方

 以前「自分の軸を持てとか言うけれど。」の記事の中で、自分が本当に幸せと感じることは何か、ということを深く思考する際は、自分の肩書や、立場など様々な表札を取り外してみる、ということを一つの方法として取り上げた。

 しかし、これは考えてみると確かに難しい。簡単に自分のもろもろの肩書などを取り外して考えられる人間は、すでに深い思想の持ち主ともいえるかもしれない。普通の人にはそれはなかなかできない。

 そういわれてみて、では具体的にどんなやり方ならいいだろうかと考えてみた。

 一つは、自分のことを全く知らない人々で構成された土地に行くこと。できれば海外がいい。自分のもってきた文化が完全に通用しなくなるし、日本の年功序列や学歴、早く結婚してないと云々とそういったもろもろの価値観が全く理解されないため、自分というものを多くの面でシンプルにみることができる。「ああ、私って学歴気にしてないと思ってたけど、やっぱり中卒なの気にしてたんだ」みたいに、コンプレックスなどを気にしなくていい環境に来れると、自分を客観的に振り返ることができる。

 海外に行くことのもう一つのメリットは、今までの人間関係と、そこから作ってきた、いやもしくは作らざるを得なかった「キャラ」というものをリセットできることにある。同じ日本人でないので、取り繕う必要もないことが多い。自分が今まで演じてきた、無理してきたキャラに気づくことも多い。もちろん日本での自分がありのままの自分だったら、それにこしたことはない。

 もう一つは、これは難しい方法なのだが、自分のことを本当に正直に話せて、そしてこっちのことを考えてくれつつ全力で思考の整理をしてくれる友達やメンターを見つけること。

 これはなにが難しいかって、要は相手方にコーチングの技術が求められるということだ。コーチングとは、その人の考え方や行動を整理しながら、その人が達成したいと思っているゴールに向かって走っていくことができるようサポートしていく仕事だが、この際にコーチには「鏡」のような役割が求められる。

 鏡は、自分の姿を正確に表してくれるものだが、これは考え方の面にあてはめると、「自分では気づかなかった自分の考えに、鏡を見ることで気づく」といったようになる。この鏡の精度が高いかどうか、つまり正確に自分の姿を現してくれているかが、その人のコーチングの技術のカギとなる。

 これを実行できる上で、かつ自分が本当に親しい人でなければならない。それがこのやり方の難しさだ。

 しかし実はコーチングの技術そのものよりは、まず自分が本当に親しく、自分の本当の気持ちや考えを素直に言える人であり、かつ相手が自分のためを思って意見を押し付けずに聞いてくれる人であれば、コーチングの技術そのものは二の次だ。

 私自身も大学時代、二人の親友というか同志といえるようなものがおり、そいつらと夜通し語り合い、お互いの意見をぶつけ、お互いに相手の思考を深めるようなことをしていた。今考えればあれは相互メンタリングとでもいうようなものであった。特段誰しも技術が優れているわけではなかったが、時がたつにつれみんなそれが上達していったので、やはり最初は技術が大事なのではなく、そういった信頼関係を他人と築くといったことが大事なのだろう。

 

さて、自分の肩書の外し方として、私はこの二つが思い浮かんだが、皆さんはどうだろうか。なにかいい方法があれば教えてほしい。