物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

後回しにすることの心理的な負担

唐突だが皆さんは小さいの頃、夏休みの宿題は先にやる人だっただろうか。もしくは最終日まで全然やらない人だっただろうか。

私は最後の三日でどうにかこうにか片付ける人だった。ぎりぎりまでやらずに最後にひーひーいいながら宿題をしていたことはおぼろげに記憶に残っている。

昔のことなのでまあいいのだが、いざ社会人になって仕事が始まってみると、このやり方はあまりうまくないのだな、と実感することが多い。それはどういうことか。

 人は目の前のタスクが少ないうちは正常に処理できるのだが、あまりにたくさんのタスクが降り注ぐと、脳が処理落ちして一つのタスクすらまともにこなせなくなる。皆さんも経験はあるのではないだろうか。いきなり同じ日に数学の公式、英語の文法、漢文の語法をたくさん教えられたところで、何一つとして頭に入らないのだ。順々に、処理速度のキャパシティが許す程度の量ずつ勉強していく必要がある。もちろんキャパシティには個人差があるのでできるひとはマルチにいろんなものを一気にこなせるのだが。

 で、後回しにすると何が良くないか。それはつまり、自分でタスクを積み上げてしまい、脳が処理落ちする可能性を高めてしまうことだ。

 後回しにするときの考え方で一番多いのは、「やらなくちゃいけないのはわかってるけどめんどくさいし後にしよ~」という発想だ。

 もちろんめんどくさいだけでなく、体が疲れて悲鳴を上げているかもしれないし、時間的余裕がないから後回しにしていることもあるだろう。目の前の一つのタスクにかかりきりで、後回しにせざるを得ない時もあるかもしれない。

 しかし後回しにすることで、片付けてしまえば考えなくてよかったそのタスクのことが、いつまでも頭に引っかかることになる。「そういえばあれ、どっかでやらないとなぁ~」と頭の片隅によぎり続けるのだ。

 私自身昔はこれを大してストレスに感じていなかったのだが、最近タスクを先にこなすようになってきてわかるようになった。この後回しにしたタスクが、大事な脳の処理速度の一部を占め続け、そして意外とこれが脳にストレスをかけているということが。

 仕事上どうしても後回しにしなくてはいけないときもあるが、その時は絶えず思考の一部が占め続けられているような感覚に陥っていた。よく考えてみると、小学生の時の夏休みもそうだった。遊ぶのはそれはそれでエンジョイしつつ、頭のどこかで「やらなくてはいけない宿題」が頭の中を占めていた。

小さい頃は大してストレスではなかったが、大人になった今これは相当なストレスになっている(というより、先にタスクを片付けるようになってからストレスがかかっていたことに気づいた)。

 もちろん、それがわかっているからといって、めんどくさい気持ちがなくなるわけではないし、後回しにしたい気持ちが消えることはないだろう。なぜか人間はそういう生き物なのだ(脳科学的にどうしてかは気になるが、変化を好まない習性によるものだろうか?)。

 ただ、後回しにすることで、自分に心と思考に相当なストレスを知らず知らずかけていることは、きちんと認識していたほうがいいように思う。