物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

共感について思ったこと

 いくつか前の記事でも、共感とはなにかよくわからない、みたいなことを書いたような気がする。今まであまり共感する、ということの意味をよくわかっていなかったのだが今日上司と話してて初めてピンと来たので、ここで整理したい。

 そもそも私は共感をするというのがすごく苦手であった。おそらく話を聞いて同じ気持ちになること、みたいなものだと思っていたが、基本的に同じ気持ちになることはあまりなかったし、推測して理解はすれど、常に冷静に一歩引いて話を聞いていた。

 高校生くらいまでは、相手の気持ちがわからない自覚があったので、大学生になって徹底的に鍛えた。でも鍛えた能力は、相手の気持ちを推測する能力の方で、決して相手と同じ気持ちになる共感ができるようになったわけではなかった。

 この推測する能力というのは極めて大事な能力で、特にキャリアアドバイザーをしたり、カウンセラーをしたりする際には非常に大事な能力だが、それらを実際にやっていく中で、どこかでつまづいている自分がいた。推測して、相手はおそらくこういう気持ちで、こういう風に考えている、ならばこういう風に言えばいいのではないか、というやり方では、どうしてもうまくいかないときがしばしばあった。

 それを私は推測能力の不足と考えていた。その面もおそらくあったのであろうが、もっと大事なこととして、共感性の低さがあったに違いない。要は、相談を受けて話は聞いているのだが、それを自分ごとのように受け止めていないため、相談者からするとある意味一歩突き放されたように感じるのだ。

 これはある面では、相手の感情に巻き込まれないという意味で非常に大事なのだが、相手からの真の信頼を得るという意味では、推測・理解する能力だけでは不十分で、共感し、相手のそばに気持ちの面で寄り添うことが大事になってくる。

 しかし私は、共感というものに非常に懐疑的であった。というのは、人は一人一人違う経験をしているのだから、同じ気持ちになることなど不可能だ、そもそもその事象から受け取ることは違う感情ではないか、と思っていた。

 ある面では、これは間違っていない。なぜなら、確かに同じ事象でも、受け取る気持ちや発生する感情はそれぞれ違うからだ。

 しかし今日上司と話してて言われたことでやっとピンときた。

 「同じ感情を想起させたような自分の人生の中での体験を結び付けて、程度の差はあれその感情を再度感じる」。正確には違う文面だが、要は別に事象が違えど、同じ風に思ったであろう、自分が実際に体験したシーンを思い出し、相手の気持ちに同調するということだ。

 共感が上手な人とは、相手がしゃべった感情に対し、自分が同じように感じた体験を紐づけるのがうまい人のことなのだろう。だから、一人一人が体験できる事象の量には限度があれど、共感が上手な人と下手な人がいるのだろう。

 もしかしたらまだ上司が言いたかったことを全部くみ取れているわけではないかもしれないが、今までもやもやとしていた「共感」というアクションが、具体的にどういうものかよくわかった。そして、確かに私はそれをやってこなかった。道理でしばしば気持ちの面でつながらなかったりしたわけだ。

 

 せっかくなので、これからやってみようと思う。