物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

無為に時間が過ぎることの苦痛

 人間はなにかしらをやっていないと耐えられない。暇というのは薬であり毒である。空白の時間が必要である一方、あまりの空白の時間、なにもしないでいるのはただの苦痛なのだ。

 

 一方本来ならやるべきことがあるのにやりたくなくて、それで時間が過ぎているということもあるだろう。それが単純作業でなく、何かしらのひらめきや感性が必要な作業の場合、無為な時間の虚しさはより顕著に表れる。遅々として進まない作業に対するいら立ちに加え、いたずらに無駄な時間を過ごしている気持ちになるからだ。

 その空白のもどかしい時間を埋めようと、人間は簡単に手を付けられるものに手を伸ばす。Youtubeであったり、スマホゲームであったり、テレビであったり。これらは基本的に受動的でいればよく、ほっとけば勝手に目の前に刺激が流れてくるので、無駄な時間を何か無駄じゃなく見せかけるのにうってつけである。あとで振り返ってみるとなぜ私はあんなだらだら過ごしてしまったんだ…と思うことも多いのだが。

 それこそYoutubeスマホゲーム、テレビで一日が終わっている人は、ある意味何もやることがないのかもしれない。

 新しく物事を始めるにもエネルギーがいる。その最初のハードルを越えられないため、ずっとグダグダした生活を続けてしまうのだ。

 

 このハードルを乗り越えても、今度は継続がめんどくさくなったり飽きがきたりして、やりたくなくなる。そしてまた無為に時間が過ぎる苦痛が生まれ、動画などに手を出し、もとのグダグダ生活に戻る。

 

 こうならないようにするにはどうすればいいのだろうか。

 私自身模索中であるが、一つの解決策として、ひらめきやセンスの必要な事と、単純作業でクリアしていくことを一日の中で組み合わせたらいいのかなと思っている。

 そのためにも、まず単純作業を後回しにしないことを心がけたい。ひらめきやセンスが必要な仕事については、詰まると時間を無駄にしている気がしてグダグダ生活になってしまうリスクが高いのだが、これについてはまだ方法を模索中である。