物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

やりたいことを仕事にするなら、具体的にだれがどう困っているかを考える

  やりたいことをやれる人生にしたい、と思っているが、なかなかそこにたどり着かない。実は私もそうである。そんなときに考えられる方法は二つ。

 一つは、やりたいことは趣味でやって、仕事は仕事でやるということ。

 もう一つは、どうにかやりたいことを仕事にすることだ。

 

 一つ目の選択肢を選ぶなら、特に難しいことはない。もちろん時間的制約とか資金的制約はあるだろうが、いずれにせよだれでも実現可能な道だとは思う。

 もうひとつの、やりたいことを仕事にしようというのであれば、ひと工夫もふた工夫も必要になってくる。

 

 早い話、やりたいことが仕事にならないのは、それが誰かに求められていないからだ。誰かがそれを「いい!お金払ってもやってほしい!」って思ってくれるからこそ、それは仕事になる。

 ではどういったことがそれに当てはまるのだろうか?

 これは完全に友人の受け売りだが、お金をもらうということは、’誰かの困りごとを解決する’、もしくは’誰かの願望を実現する’というどちらかを達成するということだそうだ。つまり、やりたいことをやってお金をもらうには、それが誰かの困りごとを解決しているか、誰かの願望(や欲望)を実現する必要がある。

 

 例えば私は、このブログのタイトルにある’物語を現実に’といったように、この世界が感動の極みで溢れてほしい、クライマックスがたくさん訪れるような人生をみんなが歩める世界にしたいと思っているが、果たしてそれを誰が求めているのかどうか、きちんと考える必要がある。もちろん潜在的には、抽象的な意味では求めているのだろうが、この場合もっとそれを具体的に、顔の思い浮かぶ誰かがどう困っているか/欲しているか、といったレベルまで落とし込む必要がある。

 結果的に私はこれに対する答えをみつけられていない。ただこのままやりたいことが仕事にできないのは嫌なので、色々な切り口を試している。

 一つは、そういったクライマックスがたくさん訪れる人生の邪魔になりそうな、アルコール依存やギャンブル依存からの回復という名目で、ツイッターを始めた。

 もう一つの切り口としては、医師としての業務の中で、特に精神科系の患者と接する時に、彼らの背景を理解し、どういった支援、治療が最も必要なのかを上級医から学び、そしてそれを実践するというのもある。こちらはまだまだ勉強中だが。

 やはりリアルの患者さんに触れていると、日々とっても具体的な困りごとに遭遇する。現場に入るというのは机上の空論にならないという意味でとても重要であると実感した。

 今はこういった形で、具体的にだれが困っているか?どう困っているか?どうなりたいか?を現場に触れて感じているところである。

 ビジネス用語でいうとMarket-drivenといったところか、とにかく市場の困りごと、ニーズから始めていく必要がある。

 特に、やりたいことを仕事にする、といった比較的ビジョナリーなタイプの人にとっては、この視点が大事なように思う。

 

 私自身十分に気を付けていきたい。