物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

クソみたいなことをされたとき、自分が同じことをしていないかを振り返る

色々な科の先生にお世話になっていると、どうしても友好的な先生と、排他的な先生にぶちあたる。

 友好的な先生は、新しく来た先生や研修医に対してとてもフレンドリーに接してくれる。一方排他的な先生は基本絡んでこないし、目も合わせてこない。

 面白いのは、ある程度診療科ごとに色が出るということだ。フレンドリーな先生は友好的な科に属していることが多いし、排他的な先生は、やはり排他的な科に所属している。

 つい最近まで排他的な科にいた身としては、正直いてもいなくてもみたいな扱いをされるのが結構しんどかったのだが、これは経験のある人もいるのではなかろうか。

 目は合わせてくれないし、内輪でめっちゃ盛り上がってるけど自分は蚊帳の外だし、自分なしですべてが回って、いないような扱いをされる。決して悪い人たちではなく、ただ単に人見知りだったのだろうとも思うし、期間が長くなかったため、まあそのうち終わるし、と思って過ごしていたけど、あれは新しく来た先生には正直厳しいと思う。

 

 ただここでふと、最近病院に来ている学生さんたちに対して友好的に接しているだろうか、ということを振り返ってみると、そういえば最近割と声をかけていないことに気づく。なんとなく無視してしまっている格好になっていることに気づき、これはもしかして同じことをしているのではないかと。

 自分には別に悪気はなく、悪いことをしているとも思っていないのだが、相手がどう受け取っているかとすると、あまりいい受け取り方はしていないかなあと感じた。

 こうして、自分がクソみたいな扱いを受けたときに、自分が同じことを他人にしていないか、と考えることは結構大事なように感じた。普段自分では気づきにくいからだ。

 学生さんにはもっと話しかけようと思ったのと、できるだけいろんな人にめんどくさがらずに挨拶しようと思った。