物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

心の動きを感じるには余裕が不可欠である

【焦って美術鑑賞】

 今日は仕事で島の診療所に向かったのだが、そのあとたまたま時間が空いたので、島めぐりをしてきた。ちょうど美術館なども近くにあり、景色もいい。美術品が点在していたりするので、自転車をこぎながらあっちゃこっちゃ巡ったりする楽しみがある。

 先輩にかねてから「ここは行っておけ!まじ精神と時の部屋だから!」と言われたところに行ってみた。少し辺鄙なところにあるにも関わらず整理券を配布するような人気っぷりではあったが、確かに行くだけの価値はあったと思う。だが、今回は船の時間が迫っていたこともあり、少しあわただしい気持ちがあったことは否めない。

 実は一番今回感じたのは、この「慌ただしさ」というものがいかに感じる心に影響するか、ということである。

【心の動きは繊細】

 心の動きはとても繊細だ。それを感じるには、雑念が浮かばないように心を静めて、目の前の景色や美術品、出来事など起きたことに対する心の微細な変化を拾い上げていかないといけない。しかし、「この美術館で過ごせる時間はあと30分だけ」とか考えてしまうと、せっかく芸術と向き合っている贅沢な時間に、「もうあと〇分しかない」とか余計な雑念が入ることになる。

 ほかにも「あああの課題早くやらないと」とか「彼女から返信来ないな…」とかいろいろと雑念はあるが、中でも「時間が迫っている」というのは最大の敵であるように思う。そんな雑念が少しあるだけで、心の繊細な動きをつかむことが非常に難しくなる。

 これは何か対外的なものに触れるだけじゃなく、自分についてや、相手の気持ちについて考えているときもそうで、なにかしら人の心について考えたり感じたりする行動をとるときに、雑念があると非常に精度が落ち、特に時間に関する雑念は大きな影響を及ぼす。

【日常で余裕を失っていると言われる現代】

 現代に生きる人は、昔に比べて余裕がないといわれる。これは仕事が多くて忙しいなどの理由もあると思うが、もう一つにはスマホの台頭が理由にあると思う。

 時間がない→焦るから余裕がない、心の動きを感じる余裕がない、というのは一つはあるが、もう一つスマホが理由というのは、スマホそのものが大きな雑念であるからだ。

 いつでも友達やネットに接続できて、対外的な色々な情報を集めることができる(本当にどうでもいいことから必要なことまで)。逆にこれができてしまっていることにより、常日頃から触っているのが当たり前になっている。

 結果、情報や対外的なつながりをしている時間に対して中毒症状のような状態(刺激が入っていないとイライラ、不安などネガティブな状態)になり、それら刺激により自分自身の気持ちの動きを感じる静かな時間が確保できないのだろう。

 

 心の動きを感じるには余裕が不可欠である。

 それを阻害する大きな原因として、「焦り=時間がない」と「スマホ」があると思う。これらの雑念を取り除いていく努力を、せめて自分の心の動きに向き合う時間では、していきたいと思う。