物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

平成生まれが時代遅れになるときがやってきた

 私は平成の生まれである。そんな我々は、昭和時代に生まれた人たちのことをネタで揶揄してきたりしたものだが、とうとうその平成生まれの我々が、同じ立場になるときがやってきた。

 そう、令和という新元号に変わるときがやってくるのだ。

 まあ、ゆーて思い出を回顧してあーだこーだ言うほど偉い人でもないし、そういう年上の自慢話はある程度聞き飽きている世代でもあるので、将来「平成の時は云々…」と言おうとは思っていない。断じて思っていない。あれ大丈夫だよな…??

 

 ただ平成の前半に生まれた私の世代と、今の世代では、全く生育環境が違うなあとは強く思う。その最も大きな変化といえば、やはりIT関係、特にパソコンの小型化と高度機能化というところに尽きるだろう。

 私が物心ついた時にいじっていたパソコンは、確かwindowsXPだったと思うが、あれでもあの時はすごい革新的なOSだったらしい。もっと昔のパソコンについては私は知らないが、確かに多少遅くはあれ、パソコンでインターネットを見るのにそこまで支障はなかったように思う。あと、パソコンに入っているゲームが結構面白くて、ちょいちょいプレーしてた記憶がある。ただ、Youtubeを見ていた記憶はあまりない。中学生くらいからのように思う。(今調べたら2005年に生まれたとのこと。意外と新しい)。

 小さいころの私がパソコンで遊べるくらいには進化していたわけだが、そのころ私はまだ携帯は持っていなかった。親は持っていたように思うが、どうだっただろうか、あまり覚えていない。そして携帯といえば、ボタンがたくさんついている、パカパカ式の、いわゆる「ガラケー」が普通だった。

 やはり革新的な進化の一つは、そのあとのIphoneの登場だろう。Iphoneのすごいところはたくさんたくさんあるので今更言うまでもないが、個人的に一番子どもたちの生活に影響を与えた面は、「小型のパソコン」が手元に現れた、というところかと思う。

 ネットもできれば、Youtubeも見れるし、アプリでゲームもできる。そしてゲームはどれも面白いものばかり。最近の子どもはスマホにくぎ付けというが、現実世界の刺激よりスマホから得られる刺激のほうが面白いのだから、何も不思議ではない。

 実際、最近の子どもたち(小学生や中学生だ)の話を聞いていると、もちろん外で遊んだり部活をしたりもしているが、家に帰ってひたすらゲーム、スマホをしている子が多い多い。そのゲームも、みんなで集まってやるのではなく、オンラインでネットの友達とやったりしているそうだ。ケーブルでつないで通信対戦などをしていた私の時代からかなり進化したように思うし、もっと昔の人から見ればかなり異次元の世界の話に聞こえるのではないだろうか。

 

 私的には、これらの変化は決して悪いものとは思っていない。医者としては仮性近視の心配などはあるが、技術の発達に合わせて子どもの遊びが変わるのは極めて自然なことだし、むしろそうして新しい技術に自然と触れていくことは必要なこととも思う。

 むしろ我々大人になった側が、これらの技術や変化を敬遠してはいけない。今まで若かった人たちは、中年のおっさんやじいさんの「最近の若いもんは云々」とか「俺たちの時はもっと云々」とか聞き飽きているのではないか?今の子ども、若者が置かれている状況に理解を示さず、それを敬遠するならば、私たちは結局今まで上の人に言われて嫌だったことを次の世代にそのまま言ってしまうことになる。

 若い時は、(一部の人を除いて)上の人にはどうせ理解されないと思っていて、だから関わってほしくなかった。その時よく使う言葉が、「昭和生まれはこれだから…」みたいなものではなかったか。

 今こうして平成生まれは時代遅れになろうとしている。しかし、頭の中まで時代遅れになってはいけない。体の感覚は研ぎ澄まし、現代の変化にしっかり適応し、敬遠せず、新しいものをどん欲に受け入れる。そうすれば、我々平成の世代が、同じ過ちを繰り返さなくてすむんじゃないかと思う。