物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

「コスパがいい」の落とし穴

【「コスパがいい」は結果的に時間の無駄にすることが多い】

 最近の子は・・・といっても自分の世代を含めなので20代~30代前半くらいまでを含めの最近の若い人は、「効率のいい・要領よくやれる方法」、つまり「コスパのいい」方法を必ず探しているように感じる。私自身は20代真ん中ほどなので最近まで大学生だったりもしたのだが、実際私含め周りの大学生は大体コスパのいい試験勉強の仕方、コスパのいい部活の練習の仕方、コスパのいい金の稼ぎ方等々、なにをするにしても「コスパのいい」方法を必ず模索していた。

 もちろんこれ自体は悪いことではない。やりたくもない科目の試験勉強なんぞいかに効率よく切り抜けられるかを考えるのは当たり前ではなかろうか。できるだけ勉強しなくていいならそれだけつらくないし、それに越したことはないのだ。

 しかしこれを求めるがあまり、ある一つの弱点を身に着けてしまったように感じる。それは、「コスパの悪いやり方に対する恐怖感」があることだ。

 

 あまりピンとこないと思われるので説明がいるだろう。例えば、ある時勉強を頑張ろうと思ったとする。

 昔と違って参考書や塾もたくさんあり、実際どう勉強すればいいかを悩むことは多い。で、まずは効率の良い勉強方法を探し始める。ネットをあさってみれば、ありとあらゆる色々な「コスパのいい」勉強方法が見つかる。「朝の15分が勝負!」「苦手科目よりは得意科目から!」「この参考書がいい!」「この塾がいい!」などなど、探すだけでも一日がつぶせるだろう。

 ここらへんですでに情報が多すぎて頭がフリーズしてしまいそうになるが、いったんは参考書を選び、そして放課後、帰ってから勉強を始めたとする。

 さて当然だが、勉強とは一気に学力が上がるものではない。最初はわからないことだらけで嫌になることのほうが多い、それでも続けないといけない地道な作業だ(だからやりたくない人のほうが多い)。

 しかし、「効率の良い」勉強方法を求めるがゆえに、結果が出ないと違和感を感じる。「もしかしてこの勉強法は無駄なんじゃないか?」「もしかして自分にはこの参考書はあってないんじゃないか?」「もっと効率よく勉強できるやり方があるんじゃないか?」そう考え始めると、だんだん自分のやり方に自信がなくなってくる。参考書に対しての信頼も低くなり、今やってるやり方は間違ってるんじゃないかと考え始める。

 友達と比べて学力の伸びがイマイチだとなおさらだ。やってもやっても(といってもそんなにやっていないことが多いのだが)学力が上がらない、これはきっと参考書が合っていないのに違いない。もっと違う参考書を探そう。もしくはもっと勉強時間が長いほうがいいのかもしれない、あるいは…などなど。

 そうやって結局やり方を変えてみるはいいものの、結局はそのやり方に自信が持てずに途中で挫折したくなる。この繰り返しをしているように思う。

 

【なまけたいんじゃなくて間違えるのが怖い】

 確かに上記のような話は、昔の人からするとあまりなじみがないものかもしれない。「できないのは甘えだ」「俺たちの時はがむしゃらにやったもんだ」「すぐにできるようになると思うな」などなどありがたいお言葉がたくさん聞けそうだ。

 しかし、今の若い世代(自分含め)がナマケモノになったかと言われればそうではなく、ただ単に間違えたくない、損をしたくないだけなのではないかと感じる。

 これだけ世の中にたくさんやり方がある中で、本当は自分にもっと効率のいい方法があるかもしれないのに、それを調べないで無駄に頑張るのはすごく損だ。

 ある程度勉強なりを進めた中で、「本当はこっちのほうがもっと伸びた」とか気づいてしまうのが、怖い。今更引き返すには遅いし、損してきた時間分、ほかの人に差をつけられているように感じる。

 せっかく頑張った分が「ほかに比べて報われない」と気づいてしまうのが怖い。

 だったら最初から間違えないようにしよう、最初から最もコスパのいい方法を探そう、そうやって道の入口のところで、最もコスパのいい道を探すため、ちょっと歩いてみてはすぐに引き返し、別の道を行ってはまた引き返し、を繰り返している。

 学校の試験勉強のように、ある程度「これやればOK」みたいなのが決まってるならまだしも、例えばギターの練習や、漫画の描き方など、決まったやり方がないものはなおさらだ。「限られた時間で効率よくうまくなる」方法は検索すればいくらでも出てきて、なおかつどれが正解かはだれにもわからない。なので少し試しては「自分に合わない」「もっといいやり方が」と思い、しまいには「上手くならないし、やっぱりやるのめんどくさい」となってしまうこともある。

 

【結局コスパのいいやり方って??】

 私も試験勉強などに対してはかなりコスパ厨だったし、上記のことは全部私自身経験したことでもある。だが改めて色々と振り返ってみると、明らかに気づいたことが一つある。

 「コスパのいいやり方を探すことそれ自体は何も悪いことではないのだが、全体から見て、コスパのいいやり方を探している時間のほうがはるかにもったいない」

 そう、少し試して戻ってみて、というのを繰り返している時間は、結局何もしていないこととほぼ似たようなものになってしまう。なにせ同じメソッドを積み上げてないから、当然身につくこともないのだ。

 それよりは、ある程度(3~6か月とか、モノによるけど)進んでみて、それから改めてやり方を模索するほうが結果的にうまくいっているように思う。

 なんだそんなに時間かかるのか、無駄な時間多いじゃないか、と思われるかもしれないが、そうやって行動しない時間が一番無駄だ。間違えていようが少しでも方向性があっているならば先に進んだほうが、結局は何かしらが身についている。

 

 時間のコスパはいいけど労力のコスパは悪いって?その通り、労力のコスパは悪い。でも、実は労力のコスパより時間のコスパのほうが後々効いてくる。なんせ、労力は取り返せるけど、時間はどうしても取り返せないからだ。「後で頑張る元気」はあっても、「後で頑張る時間」はないのだ。時間は取り戻せない。