物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

「優しくできる気持ち」の限界値

【決断にはエネルギーを使うと言うが】

 よく、何かを決める際にはエネルギーを使うという。かのスティーブ・ジョブスも、「毎日決めることが多いから、服のことで悩みたくない」とのことで、毎日同じような服装を好んできていたとのこと。

 確かに、一日で走れる距離は無限ではないように、人間が考え、決断するための脳のキャパシティも無限ではない。一つ「これをしよう、あれをしよう」と考え、決断する時に、脳が疲弊するというのはわかる話だ。(これが脳科学的にどういうメカニズムなのかは気になるところだが…。前頭葉の神経回路の神経伝達物質の受容体の活性が、過剰な神経伝達物質の供給で一時的に低下するためだろうか?今度詳しく調べてみたい)

 しかしこれは決断に限った話ではない。感情の面においても言えるのではないかと思われる。これは看護師さんたちを見て感じたことだが…。人に優しく接する、仕事で好意的に接するというのは思ったよりエネルギーを使うようだ。

【優しくするのは疲れる】

 彼女ら&彼らは多くの雑務で非常に多忙な中、患者に好意的に接する必要に迫られている。どんなに自分が不機嫌でも、患者に怒鳴り散らすわけにはいかない。あくまでソフトに、優しく接することが、医療の場面では求められる。

 その分少し気が抜けたときや、患者のいない場面では、多少なりとも感情の抑制が効かなくなるように見受けられる。まあ医者は普段から優しくしてすらないのに感情の抑制が効いてない人もいるわけだが…。

 これは医療の現場だけでなくて、多くのサービス業の人で見られる。もちろんカフェやレストランでの接客もそうだし、銀行の受付もそうだし、マッサージ店や風俗店でもそうだろう。普段お客さんに優しく接している分、オフの時くらいはそういうことを考えたくないと思われる(実際にサービス業の方に聞いた話でもある)。

【もちろん人によって総量は違う】

 人によってはほんの少し気を使っただけで一日の優しさを使い果たしてしまう人や、無限にやさしくて「なんだこいつは…天使か…?」みたいな人もいるわけだ。総じてサービス業に従事する人は総量が多めの人が多い気がするが、それを仕事にしてすり減らしている以上、オフの日はそんな人たちの愚痴に付き合ってあげるくらいはいいかもしれない。

 もし愚痴っている人や、つっけんどんな人がいたら、「この人は今日の優しさを使い果たしちゃったんだな」と考えるとこちらのメンタルも安定する。愚痴や攻撃的な姿勢に巻き込まれてこっちまで気持ちを無理にすり減らすのはもったいない。

 

さて今回のまとめだ。

1. 一日にできる決断には限界量があるように、優しさにも限界量があるのでは。

2. ぐちぐち言ってる人やつんけんしてる人を見たら、「その日の優しさ、使い果たしちゃったのね」と思って眺めるとこっちの気持ちが安定するぞ。