物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

居場所を複数用意すること

 いじめや不登校の問題がニュースをにぎわすようになって久しい。どこの小学校・中学校はたまた高校でも、「空気を読む」「的にされないように生きる」「主張せず周りに合わせる」といったことが強いられるのは当たり前の世の中になっている。

 これは社会に出てからもずっと尾を引いていて、就職しても結局は上司からにらまれないようにし、変な奴と思われないよう発言を控え、職場で浮かないよう最大限の努力を強いられる。

 私は実は海外生活が長いため、あまりこのような「日本の閉鎖的な文化」に触れることなく育ってきたが、そのような影響を受けた日本人をたくさんたくさん目にする。

 もちろん空気を読んだり、周りの気持ちを推し量ったりすることは時として必要だ。それは必ずしも悪いことではないし、その場の和を積極的に乱す必要は確かにない。

 しかし、自分を押し殺し続けて生きれるほど人間は強くない。適度に自分を出しつつ折り合いをつけられるならまだしも、自分を殺し続けて生きるとストレスがたまる。

 どういう条件でストレスがたまるか、は人ぞれそれだが、少なくともストレスが、神経伝達物質セロトニンとかいろいろ)もろもろを通して脳神経系に影響を及ぼし、脆弱性を抱える場合は精神疾患の発症につながることはよく知られていることだ。

 大学生や大人になると自分の行動範囲が広がるため、学校/職場と家庭以外の居場所を作りに行くことができる。どうにか自分の努力で、自分を解放できるところを見つけやすい。しかし高校生まではなかなかそうはいかない。特に小学生・中学生は、学校と家が生活のすべてということもよくあり、しかもそこでとても長い時間を過ごす。その場所がとてもつらいなら、自分の人生が暗いものにみえてしまうのは仕方ないことのように思う。小学生・中学生の不登校やいじめが多いのはこういうところに起因してると思われる。

 自分を解放できる場所、とはいうけど、これを現在の日本で見つけることはなかなか難しい。大人だって難しいのだ。いわんや子供をや。一方、だれか手を差し伸べてくれるか、と思うと、それは難しい。

 最近は、斜めの関係というか、家族や学校関係者でない大人が、子どもとかかわりを持つことは難しくなってきた。防犯上の理由で子供を隔離するその根拠はわかる半面、子どもは自分とかかわりを持ってくれる人に接しにくくなったのもまた事実である。

 女子高生が町中を漂い援助交際などに至るところも、そういった家庭からの逃避→居場所がなく、寝る場所・安全な場所の確保といった面が非常に強いと思う(これはColaboという、中高生女子世代を中心に支えるNPOの方からも聞いた話だ)。

 正直どうやったらそのような子どもたちに居場所や逃げ場所を創れるのかは私はまだわからない。だから大人になっていった人たちは、自分たちのために、自分の居場所を複数用意したほうがいいんじゃないかと思う。

 時間的・金銭的に余裕がない人はどうすればいいか??うーん。それもまた悩み。

 ここからは完全に思い付きだけど、誰か金持ちがそういった人たちを囲う、という感じはどうなんだろうか。昔の地方貴族とその庇護にいる人たち、というか。もちろん身分の差はなく一人一人は人だけど、そういった小さな共同体を運営するっていうのはコストを落とす意味ではいいんじゃないかな。小さな核家族では、生活を支えるのに限界が来てるように思うし。

 

 話がそれた。今日の話は、「居場所を複数用意すること」。自分が逃げられる場所・安全でいられる場所をつくること。

 それは必ずしも一定でなくてもよい。例えば、ある時期は学校/職場で居場所がなかったりするし、ある時期は家で気まずかったりする。そんな時に、自分の持ち合わせている居場所すべてがだめになってしまうと、人はどうしても戦えない。

 ストックじゃないけど、いくつかだめになった時のために、複数移動できる居場所を持っておくといい。例えば家と学校/職場両方で居場所がなくなる人は多いかもしれないけど、趣味のサークルと、地域の集まりと、親友の家と、行きつけの店長と仲良くしているカフェと、家と学校/職場が居場所になってるなら、全てが一気になくなることはまあめったにないから。

 そうやってどこかダメになったらどこかで移動して回復を待ち修復を図っていけば、人間は長続きするんじゃないかな。