物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

なぜ夜更かしをしてしまうのか。

いつも早く寝ている人はbackだ、そういう人はタイトルのことには困ってないだろう。

 

私と同じようについつい夜更かしをしてしまう方向けに分析をかねて現状の打破を考えたい。

 

 「明日は早起きして○○して□□して××しよう!」

 とか思っても、だらだらとyoutubeを漁り、twitterinstagramを巡回する。別に見たいものがあるわけでもないのに、何か面白いものがないかと探し続け、3時間も4時間も経過。日付を超えるのは当たり前、寝るのが3時や4時になったりしてる人はきっとちらほらいるんではなかろうか。

 当然そこまで夜更かしをすると次の日は午前中には起きれない。どころか、起きたら夕方になってたりしないだろうか。そしてなんとなしの喪失感を覚えるのだ。「ああ今日も一日だらだらと過ごしてしまった」と。

 

 毎度毎度早起きをしよう、時間を有意義に使おう、と考えているのに、あの夜の無駄な時間はなんなのだろうか?

 いまだに答えも解決策も見えていないのだが、以前どこかで「今日やり残したことがある時、満たされていない時、充実感がない時、人はだらだらと夜更かしをする」と見た気がする(twitterだったと思うが)。

 この説については確かに納得する面が多い。

 やり残したこと、やらなくちゃいけないことを残したままの罪悪感と、やるべきこと・やりたかったことをやってすっきりした充実感を得られずに、でも一日が終わりそう。でもその一日をそのまま「無駄だった…」と思いたくない。そんな気持ちは確かにありそうだ。

 しかしそれならば、なぜだらだらとSNSを見たり動画を見たりするのだろうか?やればいいのに。

 それについての答えはどこにもないが、私の仮説としては「脳は充実感・満足感を感じる物質、ドパミンなどを放出してくれる経験を求めており、それを簡単に得られるのが動画やSNSだから」である。

 脳はそこまで賢くない、なにか満足感・充実感を与えてくれるものであればなんでもよく、本来はやるべきだった色々なものをやって得られるはずだったドパミン(もしくはエンドルフィンやセロトニンかもしれないが)などの神経伝達物質を、動画やSNSを見ることで放出させようとするのだろう。

 もし簡単に快楽が得られるなら人はそっちに走りやすい。後々に得られる果実の大きさより、今得られる快楽を優先してしまいがちだ(これは間脳のような原始的な脳と前頭葉のような比較的新しい脳の特性によるものなのだが、詳しい話は割愛する)。

 ゆえに、毎日なにかをやり残してなんとなく充足感を得られないでいると、ついつい夜更かしし、結局次の日も無為に過ごしてしまい、以下同じ事を繰り返す、といった風になるのだろう。

 

 さてここまで偉そうにつらつらと夜更かしの考察を述べてきたが、じゃあ実際どうすれば辞められるのだろうか。これは難しい。なんせ私自身も今苦しんでいる。

 一つは、毎日「これだけはやる!」といったことを決めて、それだけこなす、といったようなものだが、結局これは習慣の力が求められたりしてあまり魅力的な解決策とはいいがたい。もう一つは、例えば家にいるときにだらだらしてしまうならば学校/職場に行く、カフェに行くなどでやるべきことを片付けるとか、時間を決めて集中してやるとか、場所・時間を変えてやるという考えもある。これで解決できる人もいるようだ。

 残念ながら私はそれでは解決できていないので、今は物事の習慣化の力で解決を図っている。現在挑戦中だ。

 もし誰かいい解決策があれば教えてほしいところだ。