物語を現実に

この現実世界が、ファンタジーのような感動にあふれた世界になりますように。

継続の重要性と困難について

 努力すること・継続することは何においても、また人によっては何よりも大事な能力だという。

 実際に全ての偉人は、全ての突出した能力を持つ人は、それが突然変異の能力(写真記憶とか)でない限りは、必ず圧倒的な努力・継続がある。

 スポーツ選手とかそんなすごいものでなくても、例えばツイッターに絵を上げてる人たちや、最近のはやりのJ-POPやアニソンをピアノで弾いてる人(ちなみに私はMarasyという人が好きだ)、そんな人たちも、全員最初から上手かったわけじゃなくて、長い時間その技術や物事に費やしてきたからこそ、みんなから注目されるまでになっているのだ。

 もっとわかりやすいところはダイエットだ。結局は毎日の食事制限と運動がモノを言っている。たまに、ではだめで、毎日きちんと継続し、習慣づけているから結果が出るのだ。

 だから、結局のところ継続できる人間が、「いいなあ」「できるようになりたい」「こうなりたい」を実現できるのだ。みんなも頑張って続けよう。続けることに価値があるのだ。

 

なんてことは正直聞き飽きたでござるな。

 

 

 そう、みんなわかってる。毎日ツイッターしてる時間勉強すれば、毎日朝早く起きて運動すれば、夜遅くまでだらだらせずに早起きすれば。

 そうやって毎日毎日思いながら、でも結局できないんだ。そう、できないんだよ。

 かくいう私はできているのか。これが全くできない。

 正直冒頭のような話はどこにでも書いてある。スポーツ選手のインタビューにも、有名な起業家の記事にも、はたまた筋トレマニアまで、どこにでも書いてあるのだ。

 

 だが、それができれば苦労しないのだ。できないから結局そんな記事が蔓延する。

 私も何度も、色々なことを、続けるつもりで始めた。「毎日本を30分読もう」「毎日12時までには寝よう」「週に二回はジムに行こう」

 さてどれが続いたか?どれ一つとして続かなかった。

 結局私には継続できる能力が全くなかったのだ。最初の思い切り、スタートはいいものの、結局3日~1週間ほど続いたところで「今日はしょうがない」「明日から頑張る」といって、ずるずるやらなくなってくる。その繰り返しだ。

 その繰り返しをもう7年も8年もやってきて、それでも結局継続することはできなくて、ずっともやもやしていた時に友達に一つの方法を聞いた。

 

 「続けることのハードルを極限まで下げればいいんじゃないかな?例えば毎日スクワットを一回するとか」

 なるほどこれは面白い。スクワット一回なら(少なくとも健康な成人男性の私からすれば)なんてことはない。場所も選ばない。駅の中でも、職場でも、家でもいい。

 時間もかからない。全部でかかる時間は5秒ほどだ。「時間がない」なんて言い訳は明らかにできない。

 もしこれで継続できない理由があるなら、それは忘れるかどうかくらいだ。なんせ思い出したときにその場でやればクリアするんだから。ハードルなんてあってないようなものだ。

 

 さて、果たしてこれを続けてどうだったか。今のところ1か月以上継続できている。なんせスクワット1回だ。別にすごくもなんともないけども、でもこれでも一か月の間に二回くらいは忘れてしまった。そう、これですら忘れるのだ。

 

 おそらく人によって継続できない理由は様々で、例えば時間がかかるとか、疲れるとか、忘れるとかいろいろあると思うのだが、もし自分が本当に継続できない、継続するのが苦手だと思うのなら、この「徹底的にハードルを下げる」ということを一度やってみてほしい。スクワット1回ですら、1か月も続くと「なにか継続できている」気がしてくるから。というよりスクワット1回すらできないなら、それ以上ハードルが高いことはできない。

 もちろん内容はスクワットじゃなくてもいい。「あいうえお」の発声練習でもいいし、にっこり笑顔を作ることでもいい。時間は大体5秒以内、身体的負担のかからず、かつどこでもできるものがいい。

 ハードルを徹底的に下げてもしできないのならば、それはそれで理由が明確になる。「忘れてしまう」からできないのだ。やる内容の問題じゃない。

 

 あなたが継続できない理由は何だろうか?よく根性論や、「結局別にそんなに欲しくない結果だった」とかいろいろあるかもしれないが、もしそれがわからなく、かつ継続ができていないなら、「徹底的にハードルを下げる」ことをお勧めする。